学卒後、運送会社のドライバーや掃除器具の訪問販売員などを経験し、後に吉本と知り合うキッカケとなる携帯電話ショップに友人らと3人で就職。その会社は北海道に本社があり、大阪事業所は立ち上げたばかりであったと云う。ただ、「まだ大阪は立ち上げて間が無いから、そんなに売り上げが立ってないんだよね。だから、君たちを雇ったことをまだ専務にも言えてないんだ。悪いけど給料は少しだけ待って欲しい」と社長から告げられたとのこと。30年が経過しているが未だにその初任給は振り込まれていないようだ(笑)
携帯電話ショップを2年半ほどで退職した田野社長は、知人に誘われ携帯電話販売のFC店舗へ取締役として就職するも経営者との考え方に違いが生じて退職。その後、日新火災海上保険㈱に転職し代理店養成プログラム(3年制)を受ける。かなり厳しいノルマを敷かれ、3ヵ月毎に同期が辞めていくという境遇で、田野社長は実績を出すためガムシャラに働き、知人のところへ顔を出す毎日を繰り返していたと云う。その成果が実り、ノルマを達成して独立することとなった田野社長。1999年6月に個人事業として保険代理店を開業し、自分で仕事を取らないと生活していけない日常に追われる。人脈がかなりあった田野社長は着実に契約を獲得していき、開業から半年ほどで高校の同級生や知人を社員として雇えるほどになる。
2004年4月には法人成りし、有限会社保研オフィス(現、㈱保研オフィス)を設立して現在に至る。